2017年度ジャパンボウル入賞者の日本研修旅行に協力(2)

1.入賞者歓迎レセプションに参加

7月25日(火)午後6時45分から、アメリカ大使館のアメリカンセンターで、ジャパンボウル入賞者、KAKEHASHI 研修旅行一行の歓迎レセプションが開催されました。このレセプションは、ワシントンDCの日米協会とアメリカ大使館の共催で、私達JBSGメンバーも招待され、高校生や関係者の方々と交流してきました。

今年はアメリカの政権が変わったせいか、会場内への持ち物が大幅に制限され、携帯電話やカメラの持ち込みが許可されなかったので、写真の撮影ができませんでした。そのため、レセプションの様子を写真でお伝えできませんが、高校生達は連日の猛暑にも負けず、お揃いのTシャツ姿で元気に会場に入ってきました。

ジェイソン・P・ハイランド首席公使の歓迎の辞、東京の日米協会会長藤崎一郎氏の祝辞、さらに、高円宮妃殿下久子様の歓迎の辞で、会場は大いに盛り上がりました。25年に及ぶジャパンボウルの活動が着実に実を結び、日米親善の役割の一翼を担っていることを、来賓の方々の言葉からも十分に感じ取れました。

ジャパンボウル入賞者で、現在日本で活動しているOBの方も招待されていて、何人かが後輩の来日を歓迎するスピーチを披露してくれました。彼らのスピーチの上手さは際立っていて、堂々とした姿に高校生達は憧憬の眼差しを向けていました。

その内の一人Tang-En Yenさんとお話することができました。彼は2008年のジャパンボウルに出場し、その後カリフォルニア大学デービス校でコンピューターサイエンスとエンジニアリングを学び、2014年に来日、楽天を経てkarabiner.incのDevOps(開発と運用)で開発に携わっている(当時)とのことで、ジャパンボウルの経験はとても貴重だったと、誇らしげに語ってくれました。

パーティーの間中、高校生達は彼の周りを取り囲み、皆の顔には笑顔があふれていました。高校生達にとって、日本で活躍する先輩達と直接話ができる機会が持てたことは素晴らしいことだったのだと強く感じました。

美味しいお料理を食べながら、日本語での会話を楽しみ、全員で写真を撮り、和やかなうちにレセプションは幕を閉じました。

2.ちゃんこ料理と江戸東京博物館見学

7月26日(水)、Kakehashi Projectsの一行は、午前中に研修旅行の報告会、総理官邸での表敬訪問を済ませ、成田から帰国の途に就きましたが、最上位レベル(レベル4)優勝2チームの5名は、28日まで東京に滞在しました。JBSGは、事前に東京でのホームステイ先を探す労を取り、26日の午後には数時間を使って彼らと一緒に過ごしました。

暑い真夏の東京で何処に案内しようかと思案した挙句、今年はJBSGメンバーに人気が高い、「江戸東京博物館」を見学してもらうことにしました。このプログラムには、24日の交流会にも参加して下さったJNSA「高円宮杯中学英語弁論大会」出場者OBの方々5名にも加わっていただきました。

両国にある博物館ですから、やはり昼食は両国でと考え、両国と言えば、国技館、お相撲という流れで、駅に隣接する「江戸のれん」内の「ちゃんこ霧島」でちゃんこ料理を食べました。

熱い鍋物で大丈夫かと心配しましたが、店内は冷房が効いていて、野菜、お肉たっぷりのちゃんこ料理は、バテ気味の体にも美味しく味わえました。

江戸のれんの中には実物大の土俵や、江戸情緒のあるお土産屋さんが並び、我々も喜んで散策しました。

食後徒歩数分で、江戸東京博物館に到着し、5階、6階の常設展で江戸時代の街並みや暮らしぶりを見てもらいました。江戸ゾーンでは英語のガイドをお願いし、小一時間、効率よく博物館内を動いて楽しんでもらいました。

その後、5階の東京ゾーンに移動し、江戸から東京へ時代の流れとともに変貌する様子を見学しました。東京ゾーンでは,JBSGのアドバイザーの久野明子さんに、案内と解説をお願いしました。

ここには鹿鳴館の模型があり、鹿鳴館の建物と庭園を上から見渡すことができます。さらに時間で建物の屋根がスライドしてライトがつき、なかで舞踏会のダンスが再現される仕掛けになっています。

会場が広いため、途中から集合場所を決めて自由に見学してもらいましたが、最後は全員相当くたびれました。(一人の学生さんが、博物館に入った直後から暑さと疲労のせいで気分が悪くなり、ずっと休んでいて心配しましたが、帰る頃には良くなり安心しました。)

江戸東京博物館見学終了後、5名の学生さんは、それぞれ3軒のホームステイ先までJNSAの学生さん達に付き添われて移動しました。

日本研修旅行も8日目となったこの日、うだるような暑さの中での江戸東京博見学が楽しかったのかどうか、元気な表情を見せてくれる優しい高校生達ですが、疲れが出ないかどうか少々気になりました。最後にまたいつか日本で会える日が来ることを願って別れました。